岩城宏之「ヨーロッパだより」(抜粋)
2日目から、ぼくが2時間やると選手交代というわけで、有名なカール・シューリヒトさんが、ウィンナー・ワルツを2時間やり、またぼく、そして老マエストロという具合にやりました。
ぼくがリストで大あばれして、しかもだんだんアラッポくなって来て、半ばケンカごしに録音した後、83才の老指揮が、ヨチヨチ歩いて行って、指揮棒もほとんど動かさず、おだやかに、楽しくオーケストラに演奏させるのをまのあたり見ると、とてもこんなえらい人にはかなわないと、つくづく思います。あんまり向うがえらいので、ヤケになり、ユーウツになったりもせず、本当に感心していられて良い気持でした。
シューリヒトさんは、ぼくの演奏中いつもミキサー・ルームで聞いていて(耳はもう大変遠いのですが)、ぼくが交代に入って行くと、「あんたは今まで2/4拍子じゃったが、これからわしがダラシのない3/4拍子をやるわけじゃ」とか、「すごい汗じゃな。君は本当はハンガリア人なんだろう。そうそう日本とハンガリアは親類じゃったな。」とか冗談ばかり言います。「昔日本婦人の知り合いがあって――彼女じゃなかったが、その人の話によると、日本の字は便利で「女」が3人集まると「ペチャクチャうるさい」という意味になるそうじゃね。」と大変なことを知っています。「姦しい」のことらしいのです。
「日本になんとか一度いらっしゃいませんか」というと、「この年では」と言い「しかし、行く時は1人じゃ」と言うので、そばにつきそっているかなり若い奧さんを指して、「もちろんご一緒にお出でになれば」と言うと、「いや、日本婦人はすてきだからね」と目をクリクリさせます。そして「でもアレがヤキモチやきなんでなぁ」とまわり中を大笑いさせます。83才の功なりとげたこの老指揮者と、3日間いろいろ冗談ばかり言い合って、本当に楽しく、すばらしい時を過しました。シューリヒトさんのウィンナー・ワルツ、ぼくのリストがレコードとなって世に出た時は、この2枚はぼくにとって、素適な思い出になります。
「フィルハーモニー」35(6), p.22 (1963).
国立国会図書館デジタルアーカイブ
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